連山 栄子 先生 昭和56年~平成7年

♪♪♪♪♪   先生に聞きました   ♪♪♪

《清友高校での思い出深い出来事》

清友高校を卒業した皆さん、私が担任した人たち、授業で出会った人たち、みんな元気にしてますか。 今、幸せですか、辛い思いをしている人はいませんか。

「占春会のホームページに投稿を」という依頼があって35年前からのことを懐かしく思い起こしています。

   清友高校が府立になって家のすぐ近くに新設されたので、私は三年目に池島高校から転勤しました。市立高校時代は、自主自律を重んじる諸先生方の行き届いた教育実践で 自治活動が盛んだったことを知っていました。しっかりした女性に育ったひとたちがご近所にも嫁いで来られて 評判がよく「嫁にもらうなら清友高校出身」という言葉も耳にしました。

名物先生と言われる 藪先生、岡先生、原田先生や若手の実践家の井上先生や冨田先生らがおられて、私は「ああ この先生たちを見習っていけばいいんだな」と安心感を覚えました。ところが赴任してびっくりしたことは、市立清友時代のよき伝統が壊れかねない実情でした。
というのも、男女共学になって自主自立を「勝手気まま」と勘違いした?一部の男子生徒が無謀な振る舞いをしていたからです。今から思えば元気があり余っていたのか、ストレスがたまっていたのか、それが「かっこいい」と思っていたのでしょうか。

   私は、新任から10年間 今宮工業高校の男子生徒ばかりと付き合ってきましたから何とかなだめられると思っていましたが、ついに腕力の強い先生方を他校から迎えることになりました。話して聞かせるだけでなく、竹刀を持ち 教師の威厳で押さえ込む罰則を強化するという指導方針が取られ始めたのです。

私は内心それに違和感を持ちましたが、教師間で随分多くの議論をし暗中模索しながらも やがて元気な男子生徒たちも 『清友太鼓』に打ち込んだり、自主的に自治会長になってくれる人も現れて 女子高時代のよき伝統を引き継ぎつつ だんだん落ち着いた学校になって行きました。
元気のいい清友太鼓のあの響きは今も心の底に強く残っています。ただ、女子高の校歌がそのまま引き継がれたので男子生徒には 歌いづらかったのではないかという思いはありました。

   思い出といえば、グランドが体力測定か何かで使えずどこかのクラスの体育の授業が自習になった時 私がその監督に当たったのですが、体育の代行ができるはずもなく学校前のタバコ屋でスルメを買い うちの家の前の池でザリガニ釣りをしてバケツ一杯取ったこと!覚えている人ありますか?      又、文化祭ではたくさんの思い出が残っています。クラスの皆が一致協力してをもらったことが何度かあり嬉しかったですね。

学校前の民族資料館の方に『藍染め』を教えていただき、Tシャツやハンカチなどをいっぱい染めての模擬バザー、廊下に男子が『カニ道楽』を再現し そのカニを実際に動かして見せてくれたことは 大変な工夫がいったことと思います。
担任最後の〈3の2〉は経法大の前先生(国語の前先生のご主人)に資料をいただいて、全国のゴルフ場の農薬散布の状況を調べ{甲子園の○○倍}になるという大きな展示をし 実際にパターゴルフ場を教室いっぱいに作ってお客さんにゲームを楽しんでもらったこと。男子生徒は土運びや傾斜作り 大変だったネ。その苦労、覚えてますか?。
2年生では、「世界の国からこんにちは」の万博テーマソングに合わせて舞台で踊り 各国の民族衣装を男子生徒も糸と針を使って遅くまで皆で縫いましたネ。この時のビデオ 家にありますから見たい人取りに来て下さい。('89年・2年10組だった人たち)
「あんみつ屋」をやったクラスでは、うちの家へ 朝早くから集合した人たちが〈白玉つくり〉をし台所を粉いっぱいにしてくれました。とにかく行事は取り組の中で一人ひとりと触れ合うことができて、楽しい思い出ばかりです。
図書委員会の担当だった時は、放課後司書室で遅くまで話し込んだり あちこちの文学散歩に連れて行ってもらいました。書道部の顧問の時は、中山先生から作品の表装裏打ちのの仕方を教えていただき有り難かったし、茶道部がお茶会をする時 着物の着付けを手伝ったことも懐かしいです。
吹奏楽部の先輩たちも参加の 素晴らしい演奏をホールで聴いたことも心に残っています。体育祭での各団の応援合戦も見ものでしたネ。

皆さんの進路のことでは、夏の暑い中企業訪問したこと 進学の人たちには精一杯励ましの言葉を送り、内定 合格が決まった時は一緒に喜び合いました。                            私が転勤したにもかかわらず、浪人していた人たちが家まで合格の報告に来てくれたのは本当に嬉しかったです。

更に、教育条件をよくするためにと「40人学級(実現後の今は30人学級)をすすめる会」の担当をしていた時は、熱心な父母の方々と手を携えて活動できたことがとても貴重なことでした。

辛かったこともあります。修学旅行に付き添いで行った時 夜眠れず 帰ってから三回共〈急性肝炎〉になり入院して皆さんにご迷惑をかけました。

又、目立った校則違反をした人を生活指導部に報告して恨みを買ったこともありました。
思い出深いことはいっぱいあって とても書ききれません。とにかく、清友生たちは人なつっこく素直でとてもいい人たちばかりでした。今はきっと立派な社会人になって、日々の生活をしっかり送っていることと思います。沢山の思い出をありがとう。

 

 《近況報告

最後に近況報告になりますが、私はお蔭で元気にしています。72歳になりますがあまり歳を意識せず 退職後に始めた書道と謡曲を趣味に生き、最近はガーデニングも始めました。高安の地は「能」にゆかりのある所なので 毎年お正月3日には玉祖神社での「謡い奉納」に出ています。謡いは、大きな声を出して健康にもいいし 古典の世界(伊勢物語や平家物語)にふれることが出来るので興味のある人は習いませんか? 山本駅近くの貸しビルでプロの先生が教えて下さっています。ご連絡下さい。

〈℡072-941-8794〉

《占春会に一言

占春会の役員の皆さん 清友高校がつぶされて本当に残念でなりません。その中で同窓会の絆を紡いで下さってること 心から感謝します。母校はつぶされても清友で学んだ人たち 在職した者たちの心の繋がりは断ち切れません。昨今は自然災害が多く、再び戦争できる国へと逆戻りしそうな生き辛い世相ですが、これからもお互い 縦、横の繋がりを大切に日々元気に生きていきましょう。今後共よろしくお願いします。ごきげんよう!!

連山先生の作品です (^^)

連山先生の作品