校歌

 


作詞 生田 鹿之丞

作曲 永井 幸次

 

 一、春雪淡き生駒嶺を

   のきばにのぞむわが学舎

   寒さしのぎてさく梅の

   たかき薫香 友どちよ

   ともに学ばむけがれなき

   清さたもちて

    いざ起たむかな

 

 二、秋色深き河内野の

   ほとりにたてるわが学舎

   波とそよぎてみのる田の

   こがねの垂穂 友どちよ

   ともに修めむおごりなき

   床しさひめて

    いざ起たむかな

 



校歌の変遷


 最初の校歌は昭和16年、清友学園高等女学校が創設されたとき、初代校長生田鹿之丞先生が作詞され、永井幸次先生が作曲された校歌です。

 清友学園は開校の翌昭和17年9月、高安の地に新校舎が竣工しましたが、それまでに度々高安の地を訪ねられた生田先生が、木造旧校舎玄関上の2階の窓辺にたって、周囲の美しい自然を眺め、新しい女子教育への思いをこめて作られたものです。

 この美しい環境の中で、賢く、優しい女性を育てようとなされた先生の願いが、惻々とにじみ出ているような美しい歌詞でした。

 当時、清友の音楽教育に力を注いで下さった大阪音楽学校校長の永井幸次先生が、この歌詞にふさわしい静かな美しいメロディーの曲をつけて下さいました。

 この校歌が落ち着いた美しいメロディーであったのに対し、次のような歌詞で、身も心も躍動するようなもう一つの校歌がありました。

 これらの歌を声高らかに歌い続けていくうちに昭和20年終戦、すべてが変わっていく中で、校歌も生まれ変わらねばならなくなり、生田先生が再び想いをねって新しい校歌を作られ、永井幸次先生によってこの歌詞にふさわしい美しい曲がつけられました。

 これが現在の校歌で、八尾市、大阪府に移管された後も歌い継がれています。



創立時の校歌

 

 一、朝日かがやく信貴のみね

   夕陽にはゆる茅渟のうみ

   ここ高安の丘にして

   自然の啓示いとおほし

   無言のさとし胸にひめ

   人の知能をひらかなむ

 二、南にかすむ金剛や

   北に四条の畷見る

   ここ曙川の里にして

   偉人の感化いとふかし

   楠母のかがみ身にしみて

   婦の徳をみがかなむ

 三、昔のをしへ石清水

   今も流れてにごりなき

   ここ清友の園にして

   乙女の情操いとやさし

   勅語のむねをかしこみて

   天つ御業をあふがなむ

 

 

われらの錬成(副校歌)


 一、梅と水とに象れる

   わが学園の校章を

   胸に大気を吸ひこみて

   日々錬成す

   大八州栄ゆる国に 清友の

   ちからをやしなふ若きわれら

 二、八綱領に織りなせる

   わが学園のをしへ草

   萌ゆる大地をふみしめて

   日々錬成す

   大東亜率ゐる国に 清友の

   精神をつちかふ若きわれら