校章の由来
創立当初の校章は、水色の地に白い波と、薄桃色の梅とをあしらった、七宝焼の美しいものでした。
この校章は、もと白梅に水をあしらった清水谷高女の校章でしたが、清水谷では大正12年ごろ、▽の中に梅と水とを配したものに改められ、旧い校章は講堂の泰安殿の扉に残されていました。
昭和16年、清友学園誕生の時、姉妹の校章としてこれを譲り受け、創立当初の美術の浅井重次先生が、紅梅として配色を考えられ、水色と、白と、うす桃色の美しい七宝に定められたのでした。
戦後学制改革で、中学、高校となった昭和22年、もとの高女の校章はそのまま中学のものに、高校のものは少し型の小さい、銀製の無地のものになりました。
その後、高校だけになった時、梅の中に高の字を配した銀製で、地を白く梅を紫色に色どったものに改められ、後、銅の台に色をメッキしたものに変わり、その後、八尾市立時代にもずっと用いられてきました。
府立移管にともなって男女共学になり、校章は現在の銅が少し混じった錫製の一色のものになりました。