工藤 一臣先生 日本史 昭和44年~2年間
♪♪♪♪ 先生に聞きました ♪♪♪♪
◆在職期間と担当教科
昭和44年4月三重県の」大学を卒業して、「世界史」~実際には日本史を担当~の講師として
八尾市立清友高校に採用され、2年間勤務しました。
当時の社会科は樋口全毅先生、畑中秀夫先生、中川淳(現 和田)先生、南條博子先生、
そして同期の岡部佐内先生と私の6人でした。
◆清友高校での思い出深い出来事
① 特にお世話になった先生方
まず樋口先生と奥さんの旧姓田井稔乃(体育)、同じく体育科の中村英明先生と奥さんの明子先生(養護)、
さらに体育科の逸民正剛先生には大変お世話になりました。
あらためてお礼申し上げます。
② 清友教員チームと部活動
当時の清友高校にはソフトボールの教員チームがあり、岡昌弘先生監督のもと、勇上和市先生(投手)の
活躍で八尾市ソフトボール大会で優勝しました。
私もその時4打席連続ホームランを打った記憶があります。
昼休みにはグランドで誰が校舎の塀を超すかホームラン競争をしたのを思い出します。
特に藪喜好先生(数学)は先生方の活躍を載せた新聞を発行しておりました。
部活動では、顧問の逸見先生とご一緒してソフトボール部を担当しましたが、私は大学時代は
野球部で全国大会にも出場した経験があります。
③ スキー教室、スケート教室に参加
野沢温泉でのスキー教室や先生方のグループで長野の栂池やスキー場に出かけ青森での
スキーの経験が少し生かせました。
またスケートも久しぶりに滑りましたが、青森では天然の氷ですのでスケートリンク場は初めてでした。
④ 思い出の先生
数学の坂本康夫先生と小西康弘教頭先生の自宅でよく麻雀をし負けました。
家庭科の杉本英子先生はいつも優しく言葉をかけてくれました。
校務員の石谷さんと松阪さんには、部活のソフトボールの練習が終わった後シャワー室をあけて
いただきましたが感謝しております。
⑤ 思い出の生徒
特にソフトボール部の瀬川、鬼頭、西尾、前嶋の4人は広島の呉まで、社会部の北村、光田、辻井、大西の
4人が三重の四日市まで訪ねてきてくれました。
また、服部二三江さんが病気で入院した時、緊急に輸血が必要になり樋口先生と二人で献血したことを
思い出します。
⑥ ご迷惑おかけしたこと(怪我)
スケート教室では顔面制動をして目じりを7針縫い、プール(水泳教室)では傷口から菌が入り、
破傷風になり血清を打ちましたが、その時中村、樋口両先生には大変ご迷惑をおかけしました。
◆教職生活と神職
昭和44年当時は、青森県では社会科の教員採用試験がありませんでした。
そのため郷里での家業を継ぐ前に県外で教師になる決意をし、清友高校を皮切りに
三重県四日市市の小学校、広島県呉市の私立中高一貫校(この学校では歌手の城みちるの担任でした)
で教鞭をとり、昭和51年どうにか青森県の高等学校に採用になりました。
その後は定時制(夜間・昼間)を経験し、神社の宮司と二足わらじを続けました。
◆近況報告
実家は16代続く「神明宮」の神職(社家)です。現在は息子に宮司を譲り、今は名誉宮司です。
孫5人に囲まれ楽しい生活を送っています。
◆占春会の皆様へ
今の私があるのは、清友高校での経験がすべてです。
どうぞいつまでもお仲間に入れてください。
校名が何度か変わっているようですが、占春会からの便りほどうれしいことはありません。
ありがとうございます。